パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

感情の伝播

親指が腫れていて、痛いなあと思って調べたらドケルバン病という腱鞘炎らしかった。まあ、かっこいいお名前だこと。自称、なので分かんないけど、症状的にたぶんそう。

今月はたくさんたくさん仕事した。誰になんと言われそうと頑張った。少なくとも、昨年の自分と比べれば。先月もしたけど、今月は本当にたくさん。そのせいで負傷して情けないったらないけど。

今日はひさしぶりの在宅勤務で、いつもより1時間遅くまで眠っていられて、始業までのあいだに掃除・洗濯・洗い物を終えて、一昨日買ったヴィクトリアサンドイッチケーキと、ブラックコーヒーを朝ごはんにした。やることはそれなりにあるなかで、自宅にいられる環境のすばらしさを噛み締めながら無駄に立ったり座ったりして仕事した。早々に終えて、夜ご飯も正しい時間に食べられた。お湯を張って、凝り固まった体を労わりこのまま12時には眠れるだろう。こんな健康で文化的な日々が続けば、暮らしはずっとより良くなるはずなのに、今のところそんなものは理想に過ぎない。どうせまた来週には怒涛の日々が迫り来て、仕事に追い抜かれながらそれが求められる毎日で、そして誰も容易く褒めてはくれない。そんなもんだよ、大人はさ。寂しいもんだよねえと私が言う、ほんとにやるせないねえと私が言う、そして二人で口を揃えてでも私がやらなきゃ終わらないもんねぇと頭を垂れる。

忙しさのなかで感じたのは、人は疲労が溜まると他人に優しくできなくなるということ。余裕がなくなって、殺気立ったわたしはトゲトゲしていて大層接しづらかっただろうと思う。反省する。今までそんな人間を、ごまんと見てきて反面教師にしながら生きてきたはずなのにふと気がつけば、自分がこちら側にいた。今まで見てきた人間がそうだったように、そういった空気感というか他を寄せ付けない鬼気迫った感情は伝染する。同じくらいの濃度で、優しさやあたたかさも伝染するようにできている。言葉を超えたわずかな感覚のなかに、それらを感じとる瞬間が確かにあるんだと思う。私たちは文化と言語をもった人間である前に、社会的な動物だからかもしれない。来月からは気持ちを切り替えて、ひときわ優しくありたいと思う。それは他者にも、自分にも。