パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常

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2023年4月14日

先行も一般抽選も破れ、最後の砦となるチケットトレードの申し込みが始まったのは公演のおよそ2週間ほど前のこと。公演までのあいだ毎日昼の12時に行われる抽選に血眼で応募して、落ちて、応募して、落ちて。日々増える取引完了数に肩を落としながら抽選終了3時間前に1枚だけ、チケットが出品された。購入完了通知を受け取ったのは、公演の2日前。突如訪れた奇跡にうろたえる。私が、椎名林檎にお会いできる日が来るなんて。その日仕事を終えて、一目散にオフィスを後にした時からずっと動悸が収まらない。退勤ラッシュで人が溢れかえる駅構内を必死の形相で駆け抜ける27歳女性よ。さぞ、滑稽だったことでしょうね。日頃の運動不足を今日ほど後悔した日はない。息も絶え絶え、名港線日比野駅に舞い降りた。改札めがけて駆け出したところ、同じように前方を駆ける人々の姿。彼、彼女らもまた、椎名林檎のライブのために走っているのかと思うと仲間意識が芽生えてくる。絶対に間に合ってみせる。ひと時も見逃してたまるものか!

椎名林檎は実在した

私に当てがわれた3階12列2番席へと向かうため、エレベーターか階段の選択を迫られる。もうエレベーターを待っている時間すら惜しい。最後の力を振り絞って3階まで階段で登った。扉を開けると丁度オープニングが始まったところ、彼女の姿はまだ見えない。幕開け前に詩とも朗読ともとれる椎名林檎の声だけが場内に響く、本物だ。本物だ。本物だ。ジワジワと観客による音のない熱気が体に伝わってくる。幕が上がりいよいよ姿を現した。余談だけど、私の席は最後列で悲しいことに表情が全く見えなかった。そのうえ、最後までスクリーンに彼女の歌っている姿が映し出されることはなかったため、肉眼で見られたのは数センチほどの"おそらく"椎名林檎の姿。でも、それでよかった。近くで見ることができてしまったら、彼女のオーラに気圧されて直視できなかっただろうから、一番遠くで丁度良かった。たった一人きりなのに、存在に凄みがある。本物の輝きに目が眩み、姿を見ただけで泣いてしまいそう。永遠の憧れの女性、椎名林檎が目の前にいる。彼女は本当に実在した。

特別なショータイム

5年ぶり単独ライブとだけあって、ソロ曲が多かったが東京事変の曲もいくつか披露してくれた。椎名林檎をお目にかかれることはもちろんのこと、彼女のミュージックビデオやライブ映像で見られる映像作品もこれまで幾度となく拝見していたので、演出も楽しみのひとつだった。曲のたびに彼女の衣装は目まぐるしく変わり、派手に脱ぎ去ったかと思えば、次の暗転でまた違う衣装と装飾品に身を包んでいた。それに伴ってステージの装飾も忙しなく変わっていたことが印象的だった。曲の世界観を損なわないように、一つ一つ彼女自身がディレクションしたんだろうか。それはまるで、ライブやコンサートと括られてしまうには勿体ないほどで、ストリップや歌劇のような華やかさがあった。次の演出や、映像が皆目見当もつかないショータイム。そんな思いがけなさに心が躍る。彼女の曲は彩り豊かで曲ごとに人格まで違うように見てとれる。私は以前から分人主義を唱えているが、彼女の中にもまた様々な色合いの人間が混在しているのだろうか。ジャズのようなゆったりとしたメロディでスポットライトを浴びる姿も、ピアノを優しく奏でる姿も、ギターを掻き鳴らす姿もどれも素晴らしくて、音楽家としての汎用性の高さを強く感じた。

唯一無二のエンターテイナー

公演中、ただの一度もMCがなかった。いい意味で人間味がないところも彼女の魅力のひとつであると思っていて、曲ごとに印象が変わる点も、彼女の顔を思い出そうにもうまく思い出せない点も、狐に化かされた人間のような気持ちになることがある。どれも本物なのはもちろん分かっているが、本当の椎名林檎はどんな人間なのか全く分からないのだ。以前深夜のテレビでなぜか椎名林檎が家庭用掃除機を手に取り紹介する番組を目にした。歌番組でもなかったので今思い出しても謎だけど、とても驚いたことがある。未だに結婚、離婚経験があって一児の母であるという事実ですら信じがたい。椎名林檎のことを神格化しすぎてしまっている気もするけど、それほど凡人とはかけ離れた才能を持っているということ。秘すれば花とはよく言ったもので、人間隠されている部分に強く惹かれることがある。彼女がどんな想いで曲の制作にあたっているのか、どんな想いで音楽を続けているのか、知りたくてたまらないけど、一生明かさないでくれと思う。SNSの開設や自伝の出版は断固反対である。更に知りたいとこれ以上知りたくないとが混在した妙な感情。彼女は曲の終わりや、去り際さえも椎名林檎だった。幕開けから幕引きまで一瞬たりとも気を抜かない、張り詰めたプロ意識を以てして演じているのだとしたら、それはエンターテイナーの鑑である。これも全部私の憶測にすぎない。それでもこんな思いを巡らせてしまうほど、ずっと椎名林檎に惑わされ続けていることだけは確か。

女性の味方であるということ

以前インタビュー動画か何かで、歌う目的の一つに女性が強く生きられるようにといった願いを込めていると話していた。彼女の曲には女性の醜い感情(男性に対する憎しみや他女性に対する妬み嫉み)などを歌い上げる歌詞も多い。退廃的でどこかやさぐれた印象が先行してしまって、椎名林檎好きを公言するとメンヘラだと揶揄されることもしばしばあった。まったく失礼な話だと思う。実際は、そんな曲ばかりではなくて、女性が輝く毎日を送れるように鼓舞したり、人間が生きていくことそのものを全面的に肯定してくれるような前向きな曲だって多い。特に彼女は「今」が一番大切であることを、説いていることが多い気がする。幾度なぞっても冴えない過去を嘆いたところで、毎日は無常にも過ぎ去っていくのだから、今ここにある「今」輝くことが重要であると。若いだの老いただの、誰かが勝手に数え始めただけの数字に振り回されやすい女性にとって、これ以上ないほどの賛歌だと思う。少なくとも私は椎名林檎のそういった曲たちに救われた経験があるからこそ、彼女のことをエロいとかセクシーという言葉でセックスシンボル的に消費する人たちとはどうしたって分かり合えない。彼女の艶やかな所作は女性にしか出せない美しく強かな振舞いのひとつであって、下品な言葉で消費するような対象では決してない。そこをはき違えないで頂きたいね、と思う。(あくまでも個人のあれです。受け取り方は人それぞれ)彼女に出逢って、美しく逞しく歌い上げる姿を見て、心から女性の性を持って生まれてきてよかったと誇りを待つことができた。そして、私と同じような気持ちを持ってファンとなった女性は少なくないはずで、約30万人にも及ぶファンクラブ会員のほとんどを女性が占めているのも頷ける。会場にも過去のライブで椎名林檎が着用していた衣装と同じ格好の女性や、着物をお召しの婦人らもたくさんいらしてて、みな相応に美しかった。女性本来の美しさを引き出してしまう音楽家を私は他に知らない。

椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常

諸行無常

[しょぎょうむじょう, しょぎょうむじょう]
仏 仏教の基本的教義である三法印の一。この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと。この世のすべてがはかないこと。

最後に流れるエンドロールにて、ツアータイトルになぞらえたこんな一文があった。「もうにどとおなじえんそうはおこなわれないだろう」この世のすべては無常なはずなのに、当たり前の日常に忙殺されてすっかり忘れてしまう。今日見たもの全て、この先二度と訪れないたった1度きりの出来事で、それは日常の中に訪れる様々な瞬間にも言えること。忘れないで生きていかないと。さっきまであんなにかっこよかったのに最後にこんな優しい言葉で締めくくるのもまた狡い。あしたからはじまるにちじょうをがんばっていきましょうね、と。アンコールの1番最後に歌ったあの曲は、ずっと私を支えて続けてくれた大切な曲で、終わった後もしばらく涙が止まらなかった。本当に本当にありがとうございました。

最後にまたしても余談ではありますが、わたしは椎名林檎と身長と血液型と性別が同じなんですね。ほぼ椎名林檎やないか。冗談です。たったそれだけで、この先の人生も誇り高く生きていけそうな気がする。私はこんなにも素晴らしいアーティストと同じ時代を生きている。なんて幸せなことだろう。またいつか会う日まで。