パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

傷跡

十字架を背負っているひと特有の色っぽさがある。それは、美しい花が隠し持つ鋭い棘みたいな、綺麗な魚に滲む毒みたいな、決して立ち入ってはいけない澄んだ湖みたいなもの。私、そんなことも知らないでその魅力に軽々しく触れようとしてしまった。私の器量では決して包帯を巻いてあげられないほどの、古くて大きな傷跡を見せてもらったときにやっと事の重大さに気づいて、自分の軽薄さを恥じたあと、思わず泣きそうになった。全く気の利いたひとことも言えなくて、取ってつけたような言葉もなんだかうすっぺらく感じて口をつぐんだ。ほんの少しでも私と同じかも、なんて近づこうとした思い上がりを許してほしい。それを持つ人は、隠すのがうまいから。気づけなかった。でも気づいてしまった。知ってしまった。深さも大きさもまるで違ったけど、同じようなかたちをしていた、気がする。ただ、私はあなたに何も施してあげられないはずなのに、私にはその傷跡を見せてもいいって許してくれたことが、見せても大丈夫だって思ってくれたことが本当に本当にうれしかった。癒したり、治したり、私にはそんな力なんてないし、この先も到底できるはずないけど、あんなにも大きな傷跡を抱えて生きていることを知っているのと知らないのとでは、ぜったいに違うはずだから。あなたの人生のなかで、そんな数少ないひとりにしてもらったこと、それだけでかけがえない。これまでどんな道を歩いて、どんな景色を見てきたのか私は知らない。でも知ったあとで特別な感慨を抱くのは違うと思うし、現にその傷は随分と古いものでとっくの昔に乗り越えて、懸命に今までを生きてきたんだよね。ただそれだけを、生きて私と出会ってくれたことだけを、感謝しながら、私が持てる最大限のやさしさを与えたいって思う。見返りなんて絶対求めないから、なんらかの形で救いになりたいと思う。まあ、そんなことも厚かましいか。私にできることなんてやっぱり何にもない。だけど出会えてよかった、ってあなたも思ってくれていたらいいな。とだけ密かに願っていたい。そんな人。愛とは、あとでごめんと言わねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどに張り詰めた対人関係のことである。