パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

1年のうち僅か10日間だけ訪れる特別な季節の夜の風

同期と決起会をした帰り、タクシーの窓が全開で2023年5月19日の夜風を浴びていた。昼間は32度を記録したそうで、早くも猛暑日が到来のヨ・カ・ン。クソがよ、おもしろ外気温。今日は一日在宅だったので、わたしには関係なかったけど。ところで夜風が気持ちいい時期って1年のうちの、およそ10日間ほどしか存在しない。体感の話。人との関係も、一番適切な期間ってそう長くは続かないよなと思っていて、たとえばそれが恋ならば相手の気持ちと自分の気持ちが同じ総量であることってほんの僅か、いずれどちらかいっぽうの気持ちに変化が訪れて、支配欲だか独占欲だかがはちきれんばかりに膨れ上がったり、また小さくなるなどして、それに気づいたときに熱いなあ(おもい)とか寒い(さびしい)なあとか思うようになる。たとえばそれが友達だったとして、互いが互いを最も思いやれる距離にいられる期間が続くのはほとんど奇跡に近い、たとえばそれが職場の関係だったとして同じ時期に同じ仕事を同じエリアで任せてもらっていることは幾重にも重なる偶然が引き起こしたもの、それらは1年のうちの10日間しかない今日みたいな気候にとてもよく似ている。そんな経験が、わたしにはある。だから今そばにいる人たちとも、ちょうどいい距離感を保ち続けられる保証なんてどこにもなくて、相手にとって自分がそうあり続けるということよりも、自分が相手のことをいつか軽んじてしまったり、煩わしく思ってしまう日が来ることのほうがずっと怖い。季節の変わり目に降る突然の雨みたいに、ふとせざるうちに思いを攫って行ってしまうからどうしたって防ぎようがない。いまこの瞬間に吹く心地よい風を心地よいまま留めておきたいのに、そのためには付かず離れず自分の見せたい一面だけを見せながら、相手の見たくないところまで見てしまわないように距離を測るしかなくて、それはそれで苦しい。風も縁も自然に委ねるほうがいいのだろうか。できる限りその人の周りに吹く風を全身に浴びて、手繰り寄せたいと思ってしまうのは贅沢だろうか。風が気持ちいい、あなたといるととても楽しい、あなたといると幸せだって、伝えられる距離にいるうちは、包み隠さず伝えていかないといけない。そんな簡単なことを、何度も何度も忘れてしまう。そしてわたしは、1年のうちわずか10日間だけ訪れる適切な季節の夜の風を浴びて、思い出すのでした。