パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

20221120

昨晩、久しぶりに彼と行った中華料理屋での食事が本当に楽しかった。いつもより私の眉毛が太かったことを指摘されて、口に入れたワンタン麺を吹き出してしまいそうなくらい笑った。食事しながら楽しいと思える人間は、わたしにとって数少ない。わたしは人間と会話をするのがとても苦手。苦手というのは、人見知りとかでははなくて、人に自分の話をすることが苦手であって、人の話を聞くことはかなり好きななほう。人の考え方とかそれぞれの価値観には肯定的であると思っていて、著しくモラルを欠いていない限りは概ね共感したり、適切な相槌を提供したりできているはず。ただ自分の話となると我ながら支離滅裂であるうえ起承転結もままならず、遂には話の途中から着地点を見失うといった頭の回転の悪さを露呈する。その割に承認欲求が強いから人に話したいことがたくさんあるし、滑舌が悪いのに早口ということも相まって、一定数の人間からは煙たがられたりする。残念なことに、煙たがられる瞬間を察知する能力もある。対人関係において、それを一番恐れている。かたや文章はじっくり推敲して時間をかけられるので、言いたいことを正しい順序で伝えられる点好き。そんな下手くそな話を彼は、急かすこともなければ、煙たがることもなくただ静かに聴いてくれる。彼自身は私とは対極の寡黙な人で、自分からたくさん話したりするほうではない。そういえば付き合い初めの頃、勤めていたバイト先から家までを毎日のように送ってくれていたことがあった。帰り道で甘いお菓子と飲み物を買い込んで、車中で2.3時間話すだけのささやかなデート。その時も座席を少し倒して、たくさんの話をした。私はその時間がどんな瞬間よりも大好きだったということを、些細なことで喧嘩した本日、同じ車中で思い出すことができた。人間には他の動物とは決定的に違う細やかな感情と言葉があるのにも関わらず、些細な言葉の投げかけと受け取り方で簡単にすれ違ってしまう。時に想いを伝えられるはずの言葉を使わずに、相手に伝わるはずだなんて高を括って。私たちには幸運にも同じ言語があり、自分の話ができる口と、相手の話を聴ける耳があるのに。私たちは、相手の話を聴きながら同じ量の自分の話をした。それができるだけで嬉しい。会話、それはすなわちラーメン屋で青菜炒めが食べたいとどれほど望んでも「餃子をひとつ」と伝えれば紛れもなく餃子が運ばれるということ。