パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

20221116

消せるということは、あるということ。今日で結成13周年目を迎えるバンドのヴォーカルはそう歌う。死にたいと思えるのは、生きているということ。辞めたいと思うのは、仕事があるということ。別れたいのは、今そばにいるということ。綺麗事みたいで勝手な考え方だと思う。でも全部本当で、当たり前すぎて普段はどうしたって忘れてしまう。そんな当たり前に気がついてしまうくらいに、私は参っていたんだろう。一度暗い思考の渦に巻き込まれると、まるで蟻地獄みたいに足元を掬われてしまう。私は特にそうで、昼でも夜でも一度沈み込むとあがるのにしばらくの時間か、気を紛らわせる何かが必要になる。私はその場合、人と話すことで忘れられるらしいということに今日気がついた。なんでもいいし、無理にでもいいから人とたわいもない会話をすると一時的に暗い思考を止めるができる。そういった点からして、人間同士の繋がりとか関わり合いって、思っているよりもずっと強固なものなんだろうと思う。親しい人間以外は全体的にうっすら嫌いな私でも、社会との関わり合いを完全に断ち切ってしまう真に孤独な人間になりたいわけではないのだ。その夜怖い夢を見た、体の中に何かが入ってくる圧と、なまあたたかさを感じる不気味な夢。霊的なそれを私は信じないけど(だって亡くなった大切な人にはいまだに会えていないから)夜中にハッと目が覚めると激しい動悸がして息苦しささえある。たまにこういう時がある。一度、動悸が何か重大な病気の前兆ではないかと恐れて、忍びなくも深夜3時頃に救急車を呼んだことがあるが、身体の異常は何も見られなかった。よって、精神的なものであると解釈して動悸が止むのを凪となって待ち続けた。一人でそれに耐えている時間は苦しくて恐ろしくて自分が自分ではない何者かになってしまいそうな気さえする。布団の中なのに手足は冷えて震えていた。結婚や人と暮らすことについてははなんの執着もしていないがこういった夜に、信頼できる大人が横にいるのといないのとでは精神的な安らぎがまるで違うんだろうと思う。一生懸命に意識を別の方向へと向けていたらいつのまにかまた眠りにおちていた。案の定、寝不足のまま迎える朝は辛い。そろそろ本格的に心療内科への受診を検討している今日この頃。秋めいた程よい気候は過ぎ去って、風がくたびれた体に突き刺さる。寒くなったということは、今まで暖かかったということ。