パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

20230909

両親と食事した日。本当は母と二人の予定が、父も来たいというのでいつものファミレスではなく、ハンバーグ屋さんへ行った。両親は、相変わらずどこを切り取っても正真正銘わたしの両親であるほかないくらい似てる。一緒に住んでいた頃は、それが当たり前だったからわざわざそんなこと思わなかったけど、離れて暮らしてたまに会うと強烈な遺伝子を感じる。食事をしながら食い意地の話になって、わたしは昔から食べることに対する執着だけは強かったという昔話をされた。改めてそう言われると、気恥ずかしかったけどそれは今も変わらずおんなじで、人からひとくち貰いたいけど他人にひとくちもあげたくない私の性格をひとえに表すパーソナリティのひとつだった。さすが両親、よく分かってる。

食後、父の提案で喫茶店へ行ってみんなでデザートを食べた。家で食べる食事と違って、テレビがないので会話が中心になる。私たち家族は、携帯を触って会話が無くなることはない。父は寡黙な印象だったけど、今改めて思うとお話しすることがかなり好きほうなのかもしれない。お喋りだと思っていた母は、とても聞き上手な人間だったんだ。なんだか、幼い頃と違って家族というフィルター無しに、ただ一人ずつの人間同士として関わり合えるようになってから、わたしの前で見せてくれていた二人の印象が変わり始めた気がする。その人間性が垣間見えるたびこんな大人になりたいと思えるうえ、その遺伝子を引き継いでいる自分が誇らしく思える。時折私に襲いかかる希死念慮を食い止めるための最後の砦になっているのは、二人の存在で、この先二人が居なくなったときに私が本当の意味で生きていくことを望んでいてくれる存在はいるだろうかと、不安になる。人間が家族を作ったり増やしたりするのは、自分の存在を大切に思ってくれる誰かの存在を通して真に認めるためなのではないかと思う。

茶店で近況や昔話をしているときに、父に初めて結婚相手の話をした。今まで一度も、わたしの交際相手について聞かれたことはなく、そしてわたしも話したことがなかったので、こういった話は生まれて初めてだった。「どんな人を連れてきたらイヤか」という質問に対して父は「ハゲでもカスでも外人でもヤクザでもなんでもいい、俺に選ぶ権利はない」と言い放つ。予想外の答えにびっくりした。勝手ながら、今日この話をするまで父のことを堅物頑固親父だと思ってた。見た目も国籍も年齢も関係なく、私が選んだ相手ならば認めることしかできない(しない)とのことだった。

思えば私が高校の頃、ひとりで夜行バスを乗り継いで広島へ行った時も、大学生の頃家に寄り付かず母親と喧嘩していた頃も、社会人になって一人暮らしを決めた日も、私の事を全面的に信頼し、止められたことは一度もない。私が人様に迷惑をかけるようなことするはずはないと、根拠の無い自信で私を育ててくれていた。人は、信頼してくれるひとほど簡単に裏切ることはできない。逆に疑われるほど、裏切るに易いと思われてしまうんだそう。

この話をしたときも、いつかの私の決断を聞いたときと同じようにどんなやつでもいいと笑い飛ばしてくれて、なんだかしばらくのあいだ思い悩んでいた自分がバカみたいだった。バカみたいで、泣きそうになるくらい嬉しかった。ただ一つ、俺より年上はやめてくれとだけ。三十歳差はよっぽど大丈夫やと思うわ。

二時間ほどそんな話をして、私の家まで送ってもらった。車で去っていく両親の車を最後まで見届ける。姿が見えなくなるまで助手席から手を振る父は、小学生の頃、通学中に後ろを振り返ると、姿が見えなくなるまで自宅アパートのベランダから手を振る姿と少しも変わっていなかった。私、本当にあなたたちの娘に生まれてよかったって思ってる。今なら胸を張って言える。結婚29周年おめでとう。