パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

夜のかけらと宇宙のココア

冬の寒さは大嫌いだけど、わたしにはとっておきの思い出がある。それを思い出すたびに、冬のことをほんの少しばかり愛することができるのだ。

幼い頃、父はわたしに流星群を教えてくれた。

ある晩、寝ているわたしをやさしく揺すり、星を見ようと午前3時に抱き起こした。その頃はまだ親子3人、川の字に並んで寝ていて、母を起こさないようにそおっとダイニングから椅子をふたつだけ持ってきてベランダに置いた。寝起きのわたしにダウンジャケットと毛布を羽織らせてベランダへ。ツンと刺す寒さのなかベランダの向こうに見えた景色は、いつもとは違う街灯の消えたしずかな夜の街。寝ぼけながらに、台所へ向かった父を待っていると、あたたかいココアを用意してくれていた。わたしはその頃、まだこんなにも夜中に起きていたことがなかったためか、ただぼんやりと父の顔ばかり眺めていたらしい。あとからそう思い出話として語ってくれたけど、わたしの記憶の中にあるあの夜の星空には、絶え間なく降り注ぐ流星群が見えていた。

わたしは当時から星に強く関心を寄せていて、宇宙の成り立ちや未だ解明されていない未確認生物の謎に思い馳せることが大好きだった。それはしばらくの間続いて、中学生の頃はホーキング博士の著書を片っ端から読んでいた。いつしか星座の図鑑にかじりついてた時期もあって、特に好きな星はプレアデス星団という青く光る星の集まりだ。和訳では「すばる」といい、日本製自動車メーカーのエンブレムにも使用されているとても美しい星たちだった。流星群を見るとき、ふだんは寡黙な父がとてもワクワクしているように見えて、わたしはそれがとても嬉しかったから、流星群よりも父の顔ばかり見ていたんだろうと思う。

深夜にこっそりとわたしたちだけに与えられた特別なショータイムは、今でもずっと心に残っている。あれからわたしは日本で流星群が観測される時期になるたびに、どうか一目見たいと冬の夜空を仰ぐのだ。

先日、2021年のふたご座流星群が極大をむかえるという知らせを受けて、仕事終わりにアパートの裏手に回り込み、出来るだけ街灯のすくない場所で一人空を眺めた。その日は雲もなく観測するには十分な天気にも思えたが、まだ月が煌々と輝いていて星の数もまばらだった。それでも暖かい缶コーヒーを片手に小一時間眺めていたら、2〜3個見ることができた。あの時見た雨のように降り注ぐ流星群ではないものの、流れる星に気づくたび、あの頃と変わらない感動を覚えて心が奮えるのだった。これから先、あの夜を超えるような流星群に出会うことはないかもしれないが、わたしはこれからも流星群が流れる冬の空を楽しみに生きていくのだろう。