パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

おともだちシップ

男女の友情は成立するか否か?

こんな話題はもう擦り切れるほど男女間で交わされてきたのでしょう。男女の友情は成立する。なぜならわたしたちがそうだから。

大学を卒業してから、1〜3年に1度くらいのわずかな周期で会う異性の友人がいる。二人は思慮深く真面目であり、たいへん愉快。人の悪口を肴に酒を飲まないタイプの心根がやさしい人間で、いつも互いの軽口を叩き合いながら近況報告をしあう仲である。そんな調子なので、異性間であっても下品な話に及ぶことはないし我々にそういった感情は1mmも生じ得ない。わかりやすく言葉を借りるとするならば、私に歳の近い兄がいたらこんな感じだろうと思う。

私は人間として彼等のことが大好きで、卒業したあともこうして社会人の限られた休みの日を割いてでも会いたいと思う。そう思える友人は同姓でも多くはない。相手も同じように、休みの日を調整しわずかな時間を割いてくれている。大人になればなるほど、自分に大切な時間をくれる人間がどれほど貴重であるか痛感する(その割にいつも遅刻しちゃうけど。ごめんて。)我々と同じような考えの人間が大半のような気がするが、その逆もいる。

男女が集まればきまって色恋のあれやこれやに発展し、いざこざに巻き込まれるといった心配をするひとびと。その人たちのことも理解できるが、わたしは納得することができない。男と女だったら友達にはなれないのだろうか。それはちがう。目の前にいる人の生き様を知るために、生きている中で得た哲学を知るために、わたしたちはたくさんの会話をする。たわいもない会話の中で触れる自分以外の考えに救われる瞬間が、ある。それは男も女も関係なく、たったひとりの人間として敬意を持って接することで得られる対価だと思う。男女の垣根を超えて、人間として接してもらえる心地よさといったらない。男だから女だからといったくだらないカテゴライズは無しにただ私を一個人として接してくれている配慮を感じて感謝する。

わたしは身体的な性別はれっきとした女性ではあるものの、思考や恋愛観、趣味などは男性性を強く持っていると自負していて、男性側の気持ちに深く共感できる瞬間が多々ある。その分、女性であることへの歯痒さと生きづらさも人一倍あって、異性と話すたびにまざまざと男女の違いを感じて気分が落ち込んだりすることもある。でも、今日まで彼等にはそれをまったく感じることはなかった。会わない時間がしばらくあったあとでも学生の頃みたいにわたしたちの内輪ノリでバカ騒ぎできる稀有な存在。とてもありがたい存在。一人は結婚し、子を持つ父親となった。私を含むあとの二人は独身で、まだしばらくのあいだこの会は実現できるはず。でもこの先、全員が結婚してしまったらどうだろう。我々とは異なる考えを持った配偶者であれば、もうみんなで会うことはきっと叶わない。私が女であるばかりに、彼等の最も大切にしたいひとへの配慮を欠いて傷つける可能性がある。私もそれは望んでいない。その時は潔く、彼等と会わない選択肢だってしっかり持っている。せめて、年賀状や暑中見舞いを出すくらいなら許されるだろうか。

今日も帰り際に、次に会えるのは何年後になるだろうとか、この会はあと何回続くだろうかと思い馳せたりもした。本当の友情は、数年会わない日々が続いた後でも、今日の続きみたいな顔で会えると信じている。この関係性が長く続いていくことを祈りつつ、そんな日が来た暁にはフレンドシップに則って、ふたりの健康と幸せを心静かに願ってたい。