パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

MOROHA単独日本武道館

私がMOROHAを知ったのは5年程前のことで、終わらない就職活動に、先の見えない不安な毎日にいよいよ疲弊していた頃だった。丁度、子供から大人に成熟する段階にあったのだろうと思う。やけに感傷的で世の中に牙を向けて、その割に自分はなんて無価値な人間なんだとよく落ち込んでいたりもする、まだ幼さの残る青年期。あの頃私にとってのMOROHAは励ましてくれるような存在としては縁遠く、努力なんて簡単に報われるわけないんだっていう現実をまざまざと突き付けられるような気持ちになって、よほど精神に余裕のある時でないと聴くに堪えないくらい辛い楽曲だった。今思えばそれくらい自分のことを歌われているような気持ちになったということ。それくらい弱者に寄り添う楽曲だったこと。当事者の身代わりとなって音楽で痛みを昇華してくれていたということ、気が付くには随分と時間がかかった。

時は過ぎ、今の会社に入社して間もなく社会の厳しさを身をもって痛感し、スタートラインの一緒だった仲間から徐々に距離を置かれる自分に嫌気がさした私はまたMOROHAを聴いていた。もがきながら音楽を「やめられなかった人」の曲が骨身に染みてたまらなくて、残業続きで帰る夜道によく泣きながら聴いていた。その時は、優しく響くアコースティックギターとリリックの数々にまだ何者でもない自分の背中を何度も押された。

そんな思い入れのある彼らが初めて武道館の舞台に立つというので、疫病の流行下迷いながらも、行くことを決めた2月11日。当時、就職活動の折ひとりぼっちでよく足を運んだ憧れの東京へ4年ぶりに向かう。仕事にも随分と慣れて、慣れすぎて腑抜けた毎日に刺激を求めていたようなところもある。我慢の限界ともいえる。ここ数年はきっと世界中でそんな思いを抱いている人間がいて、私一人がそこから抜け出してもいいものかという葛藤があったけど、行政からの中止要請がない限り決行するという彼らの晴れ舞台に、どうしても空席を作るわけにはいかなかった。

東京は千代田区九段下の駅に降り立つと、懐かしくてしつこい坂が続いていて運動不足の足には堪えた。正面入り口に大きく飾られた『MOROHA"単独"日本武道館』の文字がとても力強かった。

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席に着いて暗転した瞬間に鳴り響く耳馴染みのあるアコースティックギターのバッキングがズシンと身体に降り注ぐ。MCアフロの叫び声にも似たリリックがとめどなく溢れ、それを受け止めようとするたび全身に鳥肌が疼いた。こめかみあたりに血管を浮き上がらせながら歌うより強く訴えかける彼らを見て、当時の感情が当時の形のまま押し寄せてくるようだった。それをどこか俯瞰してみている"今"の自分がいて、曲を聴いてもあの頃のような痛みを感じていないことに気が付く。それは当時よりずっとずっと強くなれている証拠でもあり、同時に痛みを感じるほど、もうもがいていない日々に対する後悔でもあった。

MCでアフロは言う「MOROHAを応援してくれる奴らは、自分自身のファンになりたい奴ら」だと。私がこれまで行き詰るたびに聴いていたのは、自分を鼓舞するためだけではなくて、もがきながらも歩みを止めない自分を肯定してあげたかったのだと腑に落ちた。この日、日本武道館に居合わせたその他大勢の人間もきっと同じ気持ちだったに違いない。会場全体に鼻をすする音が響いて、満ち足りた空間に私も泣けて泣けて仕方がなかった。

自分自身のファンになれる時が来るまでにはまだしばらく時間はかかりそうだけど、それまでどうか彼らには今のまま歌っていてほしい。「闘うあなたの拳の中にMOROHAはいるから」そんなことを言われたら、イヤでも奮い立たされてしまう。感動を胸いっぱいに抱きつつ、せっかくなのでその足で夜の東京タワーを眺めに行った。夜空に煌々とそびえ立つ東京タワー見て、やっとあの頃の自分が報われた気がした。たくさんの悔しい思い出がある東京、でもずっと憧れていた東京。本当は住んでみたかったけれど、今の生活を手放すのには勇気がいる。今世ではもう無理かもしれない。この憧れの距離感が、私には丁度いいのかもしれないな。束の間の非日常、明日からはまた日常、ふてくされながら過ごすのはもうやめよう。革命起こす、幕開けの夜に立ち会った日の記録。

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