パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

20221213

あーあ心の底から、このまま劇的な変化など訪れず単調で穏やかな日々を繰り返し生きていきたいー。私はいつだって変化に怯えて生きている。何も変わってほしくない。何もかもそのままでいてほしい。その点音楽はいつ聴いてもずっと変わらないでいてくれて、なんてありがたい娯楽なんだろうな。環境の変化が及ぼす別れや不利益を被る事が、何より心の負担に感じてる。多分高校卒業したくらいから、10年近くずっとそう思ってる。そう思いながらなんとか変化を受け入れて、生きて、今に至る。先日、美術館へ行った。「パリに生きた画家たち」という展示。私は絵画に対して明るくなくて、自分で描くなんて専らダメなほう。小学生の頃、美術の時間に近所の河原を写実したけど、誰より時間をかけた傑作を教師に見せたら、空の色を指摘されたことがあって、それ以来絵には苦手意識を持っていた。そんなわたしは最近、SNSで知ったパリの画家に夢中で、8000円の絵を購入した。その画家は、ボーイフレンドと愛猫の絵ばかり描く。そのどれもが相手を慈しんでいて、心から愛していることがわかるような作品たち。出会えて良かったと思う。「パリに生きた画家たち」に展示された画家について、わたしは一人も知らなかったけど美術学校を卒業後に単身で渡仏し、画家になった日本人の絵がとても気になっていた。日本人の目に映る、当時のパリの風景に興味が湧いた。最近の美術館は音声案内なるものが用意されていて、美術館初心者でも絵を理解することが容易い。絵は理解するのではなく、感じ取るべきものだろうけど画家たちがその風景画を描くに至った背景を知ることでより楽しめる気がした。音声案内を片手に、たくさんの絵を見て回った。やっぱり私にはまだ早かったようにも思えたが、繊細な油絵の色彩や、意外にも曇天ばかりのパリの空に、ほのかな興奮をおぼえた。私の中にある煌びやかでスタイリッシュなイメージのパリとはかけ離れた風景。近くで見ると油絵特有の凹凸が生々しくて、私が産まれるずっと昔、この絵を描いた人がいるんだなと画家の息吹をすぐそばで感じた。随分と昔の絵だから建物や道路が舗装しきれていないのかとか、当時はこういう仄暗い絵が流行っていたのかな、とか。色々考え巡らせながら、やっぱり絵画も私が愛する短歌や音楽のように受け取り手によって作者の伝えたい思いは変わるんだろうなとも思った。美術館で絵だけを眺める時間は静かで、豊かな時間だった。絵の他にも、家具やガラス工芸品の展示物もあって、最後まで飽きることはなかった。当時まだ今ほど技術が発達していないはずなのに、ガラスで施された花瓶の緻密なデザインに強く惹かれた。蜻蛉という題名の花瓶は、晩年を迎えた作者の遺作で、近しい友人のために制作したのだそう。死後、この世に残るものは自分で手に入れたものではなく、誰かに残したものだと聞いたことがある。エミール・ガレも、この作品たちを自分自身が生きた証として残したのだろうか。この世に残された偉大な芸術家たちの「変わらないもの」たち。私には、この先何が残せるのだろう。まだ分からないから、また芸術に触れよう。