パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

負傷兵士のハイキング

小さい頃、どれだけ泣き叫んでも止めてくれなかった激しい喧嘩を思い出す。揉み合うふたりの間に割って入って仲裁に務めたまだ小学生の頃のわたし。その時に、自分の力ではどうにもできない事象があって、どれだけ強く願っても決して思い通りにならないことがあるって知った。

すぐに沸点に達する母の機嫌を損ねないように生きていく毎日は、地雷が敷き詰められているみたいだった。常に高い緊張状態を強いられて、踏んだら最後、大爆発の嗜め方の正解もわからずに、助けを求める人も場所も無く、ただ一人で耐え忍ぶしかなかった。

あれから十数年が経ったけど、私ひとつも忘れてない。あの時の痛み、負った傷の数々のこと。正直もう、恨むとかそういう感情も薄れてしまうくらいに私は私の人生を生きてきた。今更どうこう言うつもりもない。けど間違いなく、あの頃の記憶が今の自分を作っていて、多分この先もこうして厳しさに直面するたびに思い出すんだろうと思う。

人が嘘をつく時の仕草、隠し事をする瞬間、感情を押し殺して無理をしてる顔、が手に取るようにわかる。それが自分に由来していることでもそうでないことでも。それくらい人の目を見て感情を読み取る力があることを自負している。昨日偉い人と2人で面談をした時にそんな話をした。他人と向き合って、汲み取って、伝えたいことを言葉にできる力があるって言われた。そうしないと生きてこれなかった私に授けられた大切な力を、褒めてもらえたみたいだった。私の生き方は間違ってなかったよって答え合わせをしてもらった。

人生にはこういう瞬間がいくつもある。様々な分岐を自分で選んで歩いた先に描かれている、この先向かうべき道を指し示す標識のような日。この標識を見つけるために歩いたんだなと思えるような日。大きな水たまりも、襲いかかる熊も、立ちはだかる大きな岩も、突然の豪雨もあった。それでもここまでちゃんと歩いてこれた。それだけでもう十分、あの頃の自分を救えたような気がしてる。部屋の隅で泣きじゃくっていたわたしを強く抱きしめて、きっとこの先の未来はよくなる一方だよって教えてあげたい。

足は力強く踏みしめて指し示された標識にならってこれからも歩いていかないといけない。与えられた環境とそれに伴って身につけた力を携えて、きっとこの先の未来だって、よくなる一方だと前を向く。