パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

20230715

「良い女の定義とは、強かな生き様にある。」

見た目の瑞々しさ、美しさというような、いずれ経年劣化していくなんの保証もないものに振り回されることにはうんざりだ。そんなことを思っていた矢先、中学の同級生と久しぶりに食事に行くことになって、彼女たちのこれまでの生き様を知り、心からそう思った。強かに自分の人生を懸命に生きてきた彼女たちの姿がとても眩しくて、本当にきれいだった。なんだか、日々私が思い悩んでいることなんてとてもくだらなくて、ちっぽけだと恥ずかしく思えるくらい。彼女たちの手に取ってきた人生があんまりにも素敵で惚れ惚れとしてしまう。ふたりの選りすぐりの選択の先にある、今。帰り道、あまりの衝撃に放心したまま帰ったほど。でもそれは、決して引け目を含む負の感情などではない。自分の人生にもっと真剣に向き合う必要があると、当たり前のことに気づかされた気分だった。確かに、私はどうしたって隣の芝生をしげしげと眺めて後ろめたくなってしまう性分で、うらやましい気持ちももちろんあった。でも学生時代にそばで彼女たちがたゆまない努力をしてきたことを知っているから、純粋な気持ちで尊敬することができたんだ。これはおそらく友人としてとても健全な感情。大人になっても二人のことを好きでいられる一番の理由だった。私の学生時代は人に敬られるほどのものでは到底なかったけれど、社会に出てから真面目に仕事に励んできた自負心があるからこそ、こうして目の前にしても対等に認め合えるんだと思う。そう思えたことがすごく嬉しかった。これまでちゃんと努力してきてよかった。ふたりの今を知ったことでこのままのうのうと、ただ与えられる仕事をこなしながら、歳を重ねるわけにはいかないという危機感を感じた。28歳を迎えて、女性としてキャリアを築いていくことの難しさに頭抱えていたけれど、幾何通りにも道は広がっていて私は今それを選べる立場にいて、そしてそれらを実行する時間だってまだたくさんある。もっと、彼女たちみたいに自分の人生に当事者意識を持って自分で舵を切っていかないといけない。薄々気づいてはいたが、見ないふりをしてきた。どうやらもう誰も、自分の人生に責任を持ってくれることも、導いてくれることもない。自分の幸せのかたちを見つけるまでに、周りと比べて随分と時間を要したような気もするが、なんだかこの日の夜でだいぶ明確になった。同郷同姓の友達と会うのもたまにはいいな。またみんなで、これまでと今と、これからの話をたくさんしようね。強くあれ、女ども。