パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

岡本太郎展

に行った。幼い頃、実家の近くの公共施設に岡本太郎の作品があった。悪さをすると、鬼やお化けではなくその像が家まで来るぞ、と親に脅される役割のそれとして、わたしは恐れていた。今でも少し怖いすらある。数年前に旅行で訪れた長野県にある「万治の石仏」は岡本太郎が愛したんだそうだ。願いを唱えたらそのあと叶ったとも思える出来事があり、私が信仰している唯一の仏様。岡本太郎も「よろずおさまりますように」を唱えたのだろうか。そういったかたちで、私は一方的に岡本太郎と関わりが深いと思っていて、たまたま美術館のポスターを見て展示がされる事を知ったので、俄然興味が湧いた次第です。せっかくならばと著作の「自分の中に毒を持て」を読んでから向かおうと決めていた。

著作は、岡本太郎の生き様が綴られていてかなり刺激的な内容だった。具体的にいうと、最初からずっと叱られているみたいな感覚になる。精神が弱っているときはあまりおすすめできないが、彼のほとばしる「生」に対する執着心や情熱は他を寄せ付けない力を感じる。彼のことを「子分を持たないガキ大将、信者を持たない教祖様」だと例えられる一文があったけど、まさにそんな感じだった。誰にも止められないスピードで生き抜いている感じ。凡人ならば、あまりにも常軌を逸し過ぎているため、孤独を感じてしまいそうなくらい彼は己と戦い続けていた。そんな精神力、一体どこで培われたんだろう。10代の頃から渡欧し、本場の芸術に触れていたためか、日本人離れした考え方だともいえる。同時に、とても真似できないなと思う。また著作の中に「絶望や憤りの中に強烈な人生が彩られることもある」という言葉があった。平凡な日々が曖昧なグレーだとしたら、怒りや悲しみには豊かなバリエーションがあって強い怒りは赤だし、恨み嫉み妬みの類は限りなく黒に近い青、悲しみは緑の時もある。そんな岡本太郎の剥き出しの感情を作品を通して感じられたことが一番良かった。わたしは展示を見る時に、どういった心情でどういった意図があって、なんでこの絵を描くに至ったのかという背景に興味が湧く。デザインよりも、作者の秘められた想いが知りたい。それは小説も同じで物語を書くに至った理由があとがきにあると嬉しい。だから、一つ一つの作品にある注釈と見比べながら楽しんだ。誰に何を言われても自分の信念を曲げることなく生き抜いた彼のことを、わたし自身の人生を持ってして後世にも語り継いていきたい。