パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

翼になりたいと思った話

出逢うべくして出逢うものは、人と人との巡り合わせだけではない。音楽も文学も短歌も映画も出逢うべき時に、出逢うべくして、出逢うのだ。私にとってのそれは今、故・ 萩原慎一郎ただひとつの歌集「滑走路」である。

今年の夏に、私は自らの手で大きく人生を変えた。 このまま道なりに進んでゆけば、ごく一般的な幸せを掴めるはずだった道を大きく逸れて、自分だけが望んだ道を手に入れた。その選択に後悔すらなかったものの、先の見えない暗がりに怯えて自信を失いかけていた。そんな時出会った歌集がこの「滑走路」だった。

この歌集には、いじめや非正規雇用を経験し将来への不安に苛まれながらも、希望の光を手繰り寄せながら懸命に生き抜く、一人の青年による魂の叫びがおさめられている。

この歌集にある短歌の多くは、そんな境遇の中で前に進もうと自己( や同じ境遇にある人間)を鼓舞する歌が多く見受けられる。ただ決して背中を叩いて前へ進め、などと無責任な励ましの言葉が並べられているわけではない。人が心の奥底に密かに所持している打ち明けられない苦悩や、時間が経っても癒すことができない深い傷に寄り添う、あたたかなものばかりだった。

そんな萩原慎一郎が紡ぐ三十一文字に、 私は救われてきた。 歌集を読み終えたあとがきの最後にご両親による文章が含まれていて、そこで私は初めて萩原慎一郎が32歳という若さで逝去していたことを知る。これほどまでに慈悲深く、 人の痛みを癒す優しい歌を残しておきながら本人は自らこの世を去るなんて、ひどい話だ。この先二度と、新しい作品に触れられないことを心から残念に思っていた。

最中に、この歌集を原作とした映画の公開を知ったのは何かの巡り合わせであるにほかならず、映像として観られるなんてまたとない機会。観に行く以外の選択肢は見当たらなかった。一人きりで鑑賞することが使命のようにも感じられ、限られた上映会場を目指し足を運んだ。

映画「滑走路」 は歌集から着想を得た3つのストーリーが並走する。厚生労働省の若手官僚として働き、過労の末に不眠症に陥る鷹野。友人を救った腹いせに卑劣ないじめを受ける学級委員、隼介。そして、 夫との不和の中キャリアに悩む切り絵作家の翠。

この3人が織りなす物語にはそれぞれの人生において直面する痛みや、不安や、現代社会特有の生き辛さがリアルに描かれていた。 心に傷を負ったことがある人ならば、いずれかの痛みに共感することができるだろう。私もそのうちの一人であり、3人が抱える苦難にはそれぞれ身に覚えがあった。

自身の努力ではどうにも覆らない現実の救いようのなさに、 終始胸がヒリヒリと痛む。特に鷹野の劇中の設定は、わたしと同じ25歳。自分の弱さゆえに犯した過去の過ちから、目を背け続けてきた自責の念が、彼の心と身体を蝕んでいく姿は見ていられないほどで、共感のあまり息苦しささえ感じた。

鷹野は自分の犯した過ちを償うに必要な手がかりを見つけ出すべく、過去の自分と立ち向かうことを決意する。その過程にある葛藤や迷いに対して、ひるむ足を必死に動かしながら前へと進む姿に、私はまた救われてしまった。

全体的に余白の多い映画だったため、役者の表情や些細な仕草から心情を汲み取らなければならない。 この映画ひとつとっても受け取り手によって解釈が異なる点は、 短歌が持つ性質とよく似ていた。

原慎一郎は、こんな言葉も遺している。

最近思うんです。どう考えても、納得できないような事態と遭遇してしまう人たちが実際にいること。でも力強く生き抜いている、そんな姿を、見ると心を打たれる。誰からも否定することのない輝きを有しているからです。だからぼくはうたうんだと思います。誰からも否定できない生きざまを提示するために。

 萩原慎一郎は、自身の経験を苦しい思い出に染め上げることなく社会の声なき声を、短歌にした。自身の経験を他者への攻撃や恨み嫉みに落とし込むこむのではなく弱者に寄り添い、それらを伝えるための手段として短歌を作り続けた。彼の人間性の奥深さに感銘を受けると共に、この映画や歌集をきっかけにして一人でも多くの人間がこの映画の3人のように、私と同じように、救われることを切に願う。そしていつしか私も誰かにとっての希望や救いや、翼となるのだ。

きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい

今日という日もまた栞読みさしの人生という書物にすれば

まだ結果だせず野にある自販機で買いたるコーラいまにみていろ 

未来とは手に入れるもの自転車と短歌とロックンロール愛して

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