パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

冥土はどうやら愉快らしい

週末にみた良い映画の余韻を引きずっていたら、迎えた月曜日のあまりに退屈な日常との落差にやられてしまった。時刻は21:15、明日は冬のボーナス支給日。色気のある出費の予定はまだないのだった。

今週末に観た物語のふたつと、今日お話ししたお客様との会話のテーマに「死」があった。66歳のお客様は、実母の在宅介護を経験していて、長生きに憧れはないようだった。もう僕なんかそのうちぽっくりいくよ、と笑い飛ばしながら最近内視鏡の検査を受けたとかなんとかいって、人並みに健康には気をつけているようだった。内視鏡検査で、数十分間の全身麻酔を経験して、苦痛を感じることなく済ませることができたので死ぬ時もああいう感じで何も感じないまま、逝きたいとしきりに言っていた。老衰であっても少なからず苦しみは感じるのでしょうと、瞳の奥に恐れがあった。死が怖いのは、私だけではないことがわかって少しだけ安心した。わたしの倍の年齢を生きている人間でも、怖いものは怖いのだ。きっと、みんなそう。

ばーちゃんのことを思い出す。私も、長生きに憧れはないんです、何故ならばと話してみようかと思ったけどカジュアルに話せる自信は無かったので、差し控えた。ばーちゃんの終末期を目にした私は、延命治療には大いに反対である。例え家族の反対があったとしても、きっと押し通すだろうと思う。そんな悪あがきはかっこ悪くて見せたくない。老衰かポックリ逝けたら、たしかにどんなに幸せだろうな。生まれかたも、生まれる場所も選べなかったのに、死に様だけ選べるなんてそんなの虫が良すぎるか。横浜へ訪れたときに、胡散臭い手相占い師にわたしはとても長生きすると言われた。「細く長く生きる」とも。

死に様が選べないのなら、せめて生き様くらいは選んでいかないと。ちゃんと自分が幸せになれる場所を、選ばないと。選べないと泣いていたわたしは、いつの間にかこんなことを思うようになっている。生きるのがずいぶん上手くなってきたんじゃないだろうか。