パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

追憶温泉郷

わたしはさぁ、多分だけどさぁ、ありとあらゆる思い出に未練があるらしい。わたしはこうして自分の感じたことを丁寧に書き起こして残したいと強く思う性分で、たいした記憶力が無い代わりに、誰も覚えていない些細な日常の一コマを大切に大切にしすぎてしまう。それがいつの間にか頭の先までドプン、と浸りきって追憶の中に溺れているあいだ、今を蔑ろにしてしまうことが頻繁にある。こういう思い出たちを手にできただけでも、幸せだと思わないといけないのに。あの頃に戻りたくて仕方なくなるセンチメンタル、エモーショナルな気分を音楽に乗せたら何曲か書けちゃうんじゃないの。

彼氏や友達にあの時はこうだったよね、って思い出を擦り合わせたりするけど、大抵の場合わたし以外覚えていないの悲しい。思い出の中に取り残されていることを知って孤独を感じるのと同じくらい、私の中にしか無い思い出がうんと特別にみえる。

あの時、喉から手が出るほど欲しかったものが6年の時を経て、当たり前みたいにこの手にできるようになった。手に入れたときにそれが特別だと思えるのは、やっぱりあの頃の気持ちを自分が何よりも色濃く覚えているからであって、だとしたらこうして今この瞬間の気持ちを残し続けていくことにはきっと意味があるはずで。これからも未来の自分が見ている「今」を大切に思えるようにと、わたしが見ている「今」をちゃんと残していきたい。

なぜ俺たちが映画やマンガの「伏線回収」を喜ぶかというと、たぶん、人生に意味があるかもしれないと感じさせてくれるからだ。日常で目にする何てことない出来事の1つひとつが、もしかしたら、将来すごく大きな意味を持つかもしれない。そう感じさせてくれるからだ。

あの時あの選択をしていなければ手にできなかった今があって、あの時あの選択をしたから失われた今があって、それが分かるのはずっと後に気がつく「今」のわたしの中にある。だから生きていく意味ってちゃんとあって、生きてみないと、分からないことばっかりなんだ。