パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

20221227

普通とか常識という言葉が何よりもきらい。これまで住んできた環境も、周りにいた人々も、見てきたものも何もかも違う人間の普通や常識が一致するわけがない。価値観なんてもの、人の数ほどあって然るべきだと思っている。それを理解していない人間があまりにも多い。とはいえ、こういった考え方そのものが、私がこれまで生きてきた中で得た知見によるものにほかならず、どこかの誰かにとっては到底理解できないようなことなんだよな、ということは理解しているつもりです。だから「それは常識的におかしい」「普通に考えれば分かるだろ」と叱責されると腹が立つより呆れてしまう。叱責まではいかずとも、人間との会話の折に、主観的な常識と普通が垣間見えると話を遮ってしまいたくなる。その普通や常識の基準はあなたの人生の中でのみ通用するものであって、私の人生においては全く別のものだと、声を荒げたくなってしまう。だからこの世には法律があって、誰にとっても分かりやすいルールが敷かれている。例えどんな価値観のもと生きてきたとしても、それらは最低限みんな守らなければならない。だからこそ、ルールを逸脱した人間には罰則が与えられるんだと思う。だって、自分だけが自分のために用意された都合の良い価値観に則って生きていくなんてすごくずるいことだから。人間はみんな本当はそうしたいはずだから。結婚相手の条件の一つによくあげられる「価値観が同じであること」そんな伴侶と出会えたらどんなに幸せだろうかと思う反面、全く別の価値観であっても歩み寄りながら寄り添っていく姿勢そのものがすなわち愛なんじゃないかって思うの。何の話でしたっけ。