パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

ブランケットシンドローム

幼い頃の写真を見返すと、私のそばには必ずいつも大きくて赤いバスタオルがあった。物心つく前からずっと、そのバスタオルを抱いて寝ている記録があった。大きなバスタオルのことを「だいじ」と呼んでいた。いつしか母が「大事に持っていてね」と手渡した言葉のかけらを、私はそのバスタオルの名前だと思っていたんだそうだ。寝る時も、出かける時も、泣く時も、食事の時だってわたしのそばには「だいじ」があった。タオルの端の、折り返して縫い付けてある部分の硬さが口に咥えるには丁度よかった。私は指しゃぶりをしない子供だったけど、「だいじ」を常にしゃぶっていたから指が必要なかったのだ。幼児愛着症といって、物心つく前から手にしていた物に対して異常なほどの愛着をみせる幼児ならではの特徴だったということは大人になってから知った。(今はブランケット症候群という言葉もある。まさにそれだった。)そのバスタオルが洗われた日には大癇癪をおこして、暴れ回っていたくらい。少し異常なほど、わたしは「だいじ」が大事だった。

驚くべきことにこれはなんと19歳まで続く。人が同じタオルを19年、毎日使うとどうなるか。もうバスタオルの原型をとどめておらず、その頃には細長く黄ばんだ布きれになっていた。けれど、困ったことにわたしは「だいじ」がないと夜も眠れない。今でこそこうしてひとつのエピソードとして伝えてしまえるけれど、その頃親からは成人を目前にしても幼少期から治らないひとつの癖に、難色を示すようにもなっていた。いつになったらそのボロ雑巾を捨てるんだとさえ言われた。大事にしろと教えてくれたのはどこの誰だよと思いつつも、自分自身も人に話すことはなく、人前でそれを持つことは恥ずかしいとさえ思っていたから、ほんの少し罪の認識もあったのだと思う。それでもやっぱり寝る時は、顔の上にそれがないと落ち着かなかった。その頃からだろうか、無機質な物に宿る魂のことを信じていたのは。今でも歯ブラシや、靴を処分する時はひとたび手を合わせて心の中で感謝を伝える自分なりのルールがある。長く身につければ身に着けるほど、心が宿っているように感じて、無下に扱えなくなってしまうのだ。これはある種、自分の中に築かれたささやかな宗教ともいえる。同じ宗教を持つ人間に人生で一度、一人だけ出会ったことがある。それが今の恋人だ。

20歳になる頃に、ボロボロの「だいじ」は姿を消した。本当に、ある日突然無くなってしまった。見かねた親が無断で捨てた可能性も十分にあるが、無ければ無いで、すんなり過ごせるようになったことが、なんだかとても寂しかったんだ。それは別れとも、成長とも、卒業ともとれる。ペットを飼った経験は少ないが、失った時はこんな思いだろうか。匂いは1番先に記憶から薄れてしまうらしい。あれだけ一緒にいたのに、どんな匂いだったか今ではもう全く思い出せない。本当に大好きだった。私の汗や涙やよだれが染みついた世界でたった一つのバスタオルの匂いを、いつかまた嗅ぎたいなと思う。懐かしい匂いを再現できるサービスがあれば、30万円までなら出せる。きっと他にも思い出したい匂いがある人は一定数いると思う。発明しようかな。また嗅げたら懐かしくて泣いてしまうかもしれない。そんな大事な、19年。