パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

ライブハウス

その日は、朝起きた瞬間から何度も何度もチケットの所在を確認して、時間にルーズなはずのわたしが、はじまる2時間前にはゆうに現地に到着してしまう。その日着るものは物販にて調達し、タオルはわざわざ持っていったりしない。2回洗えばペラペラになってしまう貧相な生地の、細長いタオルが宝物になる夜がある。そう、ただの平日が、何でもない日が宝物になる夜がある。その日は決まって、エイトビートが鳴り響く。

いつも始まる前のあの時間、緊張で息苦しくなる。同席した人と気を抜いて話している途中で暗転することもしばしば、あれ面白い。だってその話の続きは誰も覚えていないんだもの。暗転した瞬間にステージがパッと華やいで、いつものSEが響く。このあと登場するスターたちを待つフロアの熱気は急上昇。意気揚々と袖からスターたちが飛び出してきて、耳をつんざくほどの歓声が上がる。どうか私もステージからフロアを眺めて見たいものだ。みんな同じ羨望の眼差しをただ1点に向けて、その時の熱量で発電できるのではないかとさえ、いつも頭をよぎるのだった。

世の中のしがらみも、邪悪な感情も、のたまう煩わしさもすべて、爆音で掻き消されてしまう。洗い流されるという表現のほうが適切な気もする。たとえ泣き叫ぼうが、笑おうが、怒り狂おうが、耳鳴りで聴力がほとんどバカになってる人々には、残念ながら届くことはない。隣り合う見ず知らずの同じ目的の人間と、時にはハイタッチをして、汗だくの腕を滑らせてたちこめる熱気にむせ返り、酸欠でふらふらしながら満身創痍。それでもみんな一人残らずとびきりの笑顔で。スターたちのコールアンドレスポンスに全身で応えながら、わたしたちは一体となって音楽に身を任せる。全員同じ音楽にゆれて、泣いて、笑って。そんな夜が来なくなってから、はやくも1年が経とうとしている。

音楽はライブはロックンロールはエイトビートは、不要不急と判断された。まず間違いなくわたしの居場所であったライブハウスは感染拡大の観点からもうしばらく行くことはないんだろう。大好きなものを取り上げられた子供みたいに不貞腐れてたら1年も経ってた。オンラインだ、指定席だ、人数制限で開催だ。そんなの、私が求めてるそれじゃない。全然ちがう。絶対に行きたくない。と、スターたちの力になりたい。がせめぎ合いを続けながら、暗い部屋でスターたちの生きるライブ映像を眺めてる。いつになったらまたあの輝く夜が戻るだろう。いつかまた、いつか必ず、そのいつかがくるまでに、あとどれほど静かな夜を数えなければいけないだろう。あの日から私の生活は、ずっとずっと物足りない。