パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

わたしの忘却曲線は、齢関係なく翌朝にはもう急降下してしまうから実際の記憶のおそらく50%も書けないだろうけど、それでもまだ覚えている範疇で、忘れたくないことから書き記していくこととする。

人生で二度目の、生でお笑いを鑑賞しに名古屋へ。

疫病の流行に伴って、不要不急の外出は控えよと通達の出されている最中ギリギリまで向かうことを悩んではいたけれど誰も誘わなかったし、それ以外の用事はすべて後日に回して直帰したので、まあ今回ばかり大目に見てはくれまいか。

一度目の観劇は、4.5年前に本場大阪のちいさな劇場にて500円で1時間のお笑いライブだった。熱心に若手であろう芸人たちが集客のためバラを配り歩いていたことをよく覚えている。

ちいさな劇場で行われた生のお笑いはテレビで見るそれとは別格で会場の熱気や気迫みたいなものが肌で感じられて、たった500円で感じられる体験のなかでは最もお得な時間だったと思う。

2月25日、会社の有休消化を義務付けられているのでたまたまこの日にライブがあることを知っていたからあてがってみたら、チケットが取れた。

昨年末の全国漫才王者をきめる賞レースに出ていた芸人が全員まとめて地方巡業といった具合だ。その中で一際好きな芸人がいて、お目当てはそれくらいしかいなかったので他の芸人で眠くなってしまいそうで心配だった。けれど、そんな心配もよそに退屈な瞬間なんてものは1秒たりとて訪れなかったことを先にお伝えしておきたい。

会場には、あの賞レースで流れる印象的な出囃子がフル尺で延々と流れ続け、会場のボルテージは今か今かと駆け上がる。開演5分前に前説である地元名古屋の漫才師が注意喚起と拍手の準備。彼らもまたその後に続く漫才師たちと同じ舞台に立てることを夢見て、日夜努力しているんだろう。知ってる人は少なかったけれど、そのいつかを楽しみにしたい。

開演後のことはテンポよく次々と漫才師が入れ替わり立ち替わり会場を笑わせにやってくるのであっという間でほとんど覚えていない。いつも画面の上で見ていた芸人たちがこうして同じ空気を吸って、目の前で迫力ある漫才を披露してくれるなんて贅沢な時間なんだろうと静かに思う。

驚いたのは、漫才師それぞれの出囃子が用意されていること。私はよくバンドのライブにはいくけれどSEといって、登場シーンでお決まりの音楽が流れることがある。暗転してSEが流れる瞬間のあの心踊る感覚がまさか漫才でも感じられるとは。それぞれのコンビがマイクへと向かい歩く速度にピッタリあった出囃子が、これまたそれぞれのコンビの雰囲気、芸風と相まっていてそれだけで気分が高まる思いがした。舞台を終えて去っていく後ろ姿もそれぞれで、漫才師はスーツの男が多いため襟首を正して戻っていく姿、ゆったりとした足取りで戻る姿、コンビの足並みが揃っている姿、どちらか一方の速度が速くあっという間に掃けていく姿、最後までエンターテイメント性を保ったまま、ふざけて掃けていく姿。みんな違った個性を持ち合わせていて、姿が見えなくなる最後までずっと目が離せなかった。

それから、声。もしかしたらお笑いは声がなにより重要な個性なんじゃないかと思う。ハリよく会場後方まで伸びる声、決して大きくないけれど澄んだ聴きやすい声、見た目と相反するギャップのある声。テレビでは均一な音量として視聴者に届くため、これは実際に体験してみないと分からない出来事だった。言わずもがな売れている、よく見かける芸人の声は心地よい声色をしていた。

一人で行ったのに果たして笑えるのかと危惧してあたけど、気づいたらお腹を抱えて涙を流して爆笑してた。一人で声を出しながら笑えるなんて幸せだったな〜。時世的にまだ、表立って言えないけれど、みんなも絶対にあの空気を体感したほうがいい!本当にすばらしいものだから。

追伸、愛してやまない目当ての芸人の相方と帰りの道ですれ違った。ほとんどゼロ距離だった。人は本当におどろくと声なんか出ないし、ましてや憧れの人のそばに寄れば放つオーラで弾き飛ばされそうになる。用意したファンレターは渡せなかったけれどいつの日か目を見て笑顔をくれてありがとうの感謝を伝えてみたいと思う。