パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

日常と和えるパスタソース

例えば何の前触れもなく突然深夜に焼き菓子をこさえること、柔軟剤をその日の気分で変えること、平日の整理整頓や洗い物は見てみぬふりしながら荒れていく部屋を、大好きな金曜日の夜更かしを、決してだれにも咎められないこと、休日は午後にのそのそと起きて自分ひとりのためだけに、たっぷり湯を張りつかること。それら全てが許される1K8畳の部屋に住まうことはや1年。こうして感慨に耽ることを想定して、当時のわたしはあえて入居を誕生日に決めていた。

この部屋にあるものをふと見渡してみると、奮発した愛用の家電製品も、家具も、一度も止められたことのない水も電気もガスだって、わたしが日々働いた給料で取り揃えられていて、我ながらよくやっているなと、ひそかに感心する。実家に住んでいる頃は気にも留めなかった水場や火元の汚れはこまめに落とすことを心がけている。怠惰な私のことだから、てっきりゴミ屋敷にでもなるのかと思っていたのに清潔で快適な暮らしを今日まで継続できていることそのものが、私の自己肯定感を底上げした。自分で自分を見くびっていた、わたしは一人でも十分生きて行ける側の人間だったのか。

一年前は考えもよらなかった憧れの未来を、私は自分の力によって、こうして手に入れることができたのだ。車で数十分行けば、実家があるのにどうして一人暮らしをはじめたのかとたくさんの人に不思議に思われたし、お金のことを考えると実家に居続けることが正しい選択のようにも思えたけれど、自分の新しい一面を知る冒険と上限なき自由を得るためならば、日々のしかかる生活費なんて必要経費の範疇だ。

26歳を迎えるにあたり、ようやっと本当の意味での大人になれた気がしてる。周りの仲間たちよりも、随分長らく遅れをとって。実のところ成人したら大人になれるなんていうのは戯言にすぎず、思えばわたしは20歳のときに大人になり損ねていた。成人を機に、就職を機に、結婚を出産を機に、自らを「大人である」と実感を得る人もいるだろうけど、私にとっては「一人で生きていけること」が大人を意味するものだったらしい。20歳という節目や盛大なライフイベントを過ぎ行けば、自動的に大人に区分されるわけではなかった。 

やっと大人になれたばかりの私は、誰かと人生を生きていくだとか、誰かの人生のために生きていくだとかそういったことについて、まだまだ考え及ばない。明日の私が喜ぶ毎日を提供するために、生活を磨き尽くして、心から満足できた時にそういう未来も夢見たい。もう少しの間だけ、自分本位に生きてみる。環境を変えることを何より恐れていた25歳以前の自分よ、踏み出した一歩はこんなにも大きく、新しい景色は素晴らしいものだった。これからもどうか恐れることなきよう、年を重ねて知らない街へ。