パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

足踏みで減らす靴底

今年も無事生きて、25歳をむかえることができました。おめでとうございます。を、ありがとうございます。いくつもの祝福たちを小脇に抱えて、一日中はにかむ頬を内側から噛み締めながら仕事に励んでいた。今年はいよいよ嬉しくなくなるだろうと思っていたのに、誕生日はうれしい日に違いないのだった。なんなら前日からワクワクが止まらないのだった。0時00分から踊り出したくもなったが、25歳なので大人しく過ごすのだった。四半世紀を生きてきた証に、25歳のわたしが見ている景色を残していきたいとおもう。

毎年、誕生日を迎えるひとつきほど前から、これまで書き記してきた4年分の記事を読み返してみる。その度に、当時の幼い自分を俯瞰して見たり、変わらない自分に安堵することがほとんどだが、今年は驚くべきことにたった一年前の記事でさえ、共感することができない。

一年前のわたしは、物事を選択することを極度に恐れていた。自分の選択にひとつも自信が持てなかった。いつも何らかの分岐点に立たされたとき、選ばなかった道の方を向いては、あちらのほうが美しく見えるものだなと選んだ道の景色も知らずに、ただ下を向いて小石を蹴りながら頭を垂れていた。そんなことを繰り返しているうちに、自分が進みたい方向をついには見失って、どの道に出てもわたしが望んだ景色ではなくなっていた。

ふと、わたしが選ぶ道は今まで誰かのための道だったことに気づく。わたしがほんとうに進みたい道などではなくて、誰かがわたしに進んでほしいだろう道を自然と、何の疑いもなく選んでいたから(一度も頼まれてなんかいないのに)いつも踏み出す一歩に躊躇いがあった。誰かの顔色を伺って、NOを伝えることにおびえて、更にはこちらを選んだほうが喜ぶひとがいるからという基準で、わたしは歩いてきた。

25歳を迎えるにあたり、わたしはわたしが望む道のみ選ぶこととした。しかしその瞬間から、大きな勇気を伴うことになったのはいうまでもない。20代も半ばに差し掛かるとその道が、たとえ舗装されていなくても、急な斜面が立ちはだかっていても、すべて歩くことを決めた自分の責任になるのだ。道中で何者かに襲われようが熊があらわれようが、自分の身は自分で守らなくてはならない。

21歳の時分はこうした責任を背負うことがいやでいやで仕方がなくて、だから歳を取りたくなかったんだけど、責任があるからこそ手に入れられる景色を知った今、これからの人生を自分の意志で歩いていけることに誇りすら感じる。大人になれてよかった。もうすこし歳を取ったらたとえば、靴を高く放り投げて上を向いたら左とか、サイコロの目の数だけ曲がるだとか、そういったこともしたい。どんな道に出ようとも、それは初めから進むべきことが決まっており、そのどれもがわたしにとって必要な道であるはずだから。

年始に掲げた脱○○という目標を遂行すべく、必要なものとそうでないものを、慎重かつ大胆に精査してきた半年間。わたしが選んだこだわりの未来は、今までよりも身軽で、ずっと遠くまで飛べそうな気がしている。26歳のわたしも、はたまた30歳のわたしも、自分の選んだ道を歩いていてほしいと願う。その時はどうか顔を上げて、あっというまに過ぎていく景色を目に焼き付けながら、あとはしばらく道なりに。