パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

20230114

取引先から招待を受け、母とクラッシックコンサートへ行ってきた。5年前、仲良しだった大学の先生に誘ってもらった以来である。当時、なんの興味もなく好奇心だけで付いていったけれど、今回も相変わらず特に興味はなく、新鮮な好奇心を再び抱いて会場へ向かった。もらったチケットは2枚で、先方から恋人か家族を連れてきてもらえれば、と言われたので母にお願いした。母は足が悪いので遠い中連れ出すのは忍びない気持ちがあったものの、久しぶりのお出かけが嬉しそうではあった。わたしたちの座席は3階の左側。愛知県芸術劇場は天井が高く、広く、普段小汚くちいさな(それはそれで味があって好き)ライブハウスにしか馴染みのない私にとっては新鮮な体験だったのだ。時刻となると、自身の楽器を携えて黒の衣装でぞくぞくと演奏家たちが持ち場へとついた。オーケストラのチューニングは特徴的で、ひとつの指標となる楽器の音色に合わせ、徐々に音の輪が広がるようなかたちで各々のチューニングを行う。曲が始まるたびに行われるそれが好きだった。その音をはじめとして、ジワジワと会場に緊張感が漂った。少し時間を置いて早歩きの指揮者が、壇上へと向かってきた。その後のオペラ歌手にも同じことを感じたけど、演奏を行う人間は指揮者含め一人残らず姿勢がいい。女性は美しく背筋を伸ばして、男性もまた大きく胸を張っていた。指揮者がザッと手を挙げると、会場の空気が更に張り詰めた。その気迫に、まだ音も鳴っていないのに、体が強張ってしまうほど。今回の演奏曲はすべてベートーヴェン。正直な話、第一部の曲は、全くさっぱり分からなかった。ただ、見慣れない楽器を器用に扱う演奏家たちの姿はとても艶やかで美しかった。音色はもちろんのこと、所作が隅々まで洗練されていて、それは幼い頃から教育として教え込まれてきたからこそ出せる、あくまでも自然な振る舞いだった。クラッシックは何より緩急がすごい。繊細な音色と、壮大な音色の振り幅が大きくて聴く人を飽きさせることのない音楽だと感じる。音楽でよくみられるAメロ、Bメロ、サビの順序はなく、初見であれば次の展開が全く読めないのだ。その予測のできなさが特に面白かった。あとは、ヴァイオリニストたちの動き。手はみんな一斉に同じ手つきで動いているけど、足は三者三様で身体全体を激しく動かしながら弾く人もいれば、上半身だけを器用に使って演奏する人もいて、それぞれの個性ある弾き方に注目して見てみることもまた楽しみのひとつだった。公演のパンフレットには、ベートーヴェンの曲の解説があり、勉強になった。一つ一つの演奏が30〜40分ほどあったが、そこに物語があると知っていれば納得がいく。ソロヴァイオリン、ソプラノ歌手による歌劇、ピアノ、そしてフィナーレでの合唱。特にフィナーレでは「交響曲第九」という、いろんな場所で取り扱われる最も有名な曲を、合唱団とソプラノ歌手たちとを交えて演奏してくれた。最後には指揮者が客席側を向きながら手拍子を煽るなどして、私たちはまるで一つの楽器のように、指揮者の身振り手振りに合わせて拍手に強弱をつける時間が楽しかった。クラッシックは中流階級の娯楽という意識があったけど(実際、着物をお召しの婦人らやスーツの紳士ばかりで場違いであった)もう少し歳を重ねた時の楽しみの一つとして、クラッシックに今から触れておくのも良いのかもしれない。普段、音楽をあまり聞かない母は退屈してしまうのではないかと不安だったけど、感動していたようで安心した。一緒に来て良かった。f:id:rccp50z:20230115021347j:image