パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

拝啓、親愛なる大将と奥さまへ

大学1年生から3年生の後期まで、地元のスーパーマーケットでアルバイトをしていた。スーパーには珍しく深夜23時まで営業をしていたから時間を持て余す大学生にとっては都合のいいアルバイト先だった。そのスーパーの近くに、こじんまりとした居酒屋があって、毎日のように赤い提灯を灯していた。店内は座席が20席ほど、常連客でにぎわう焼き鳥が売りの店だった。そこで働くのは、すらりと背の高い丸メガネの大将と、口数が少なくも愛想よく微笑む顔が印象的な奥様だ。

バイト終わりによく遅めの夕飯にと、バイト仲間数人で足を運んだ。歓送迎会や送別会にもよく利用していて、3年半分のはじめましてやさようならを、この店で過ごした。私が愛してやまなかったメニューは、焼き鳥と言いたいところだけど、〆に頂く「焼きおにチーズ」とリンゴ酢サワーだった。焼きおにぎりの上にチーズが乗っているだけの至ってシンプルなメニューだけど、そこいらの店のそれとはわけが違う。甘じょっぱいピリ辛の味つけのタレと、上に乗ったスライスチーズ、焼きおにぎりの香ばしさとが相性抜群で、格別においしかった。

スーパーの仕事は単調な作業の繰り返しに思われるが、数時間立ち続けるのでなかなか体力を消耗する。それに忙しい日曜日の特売の日となれば、1台のレジにズラリと人が連なるので心休まるときがない。そんな仕事を終えたあとに、あたたかい明かりを灯すこの店に入るといらっしゃいという威勢の良い声が聞こえてきて、スーパーとは別のにぎやかさに包まれる。そしてホカホカの黄色いおしぼりを手渡されたとき、ほっと安らぐことができるのだった。つい最近成人したばかりのわたしたちはそんな風にして、お腹を満たしながらくだらない話で笑いあい、もう何度目かの青春を過ごしていた。

あれから私たちは順番に社会人となって、バイト仲間のほとんどが地元を離れしまった。中にはもう二度と会わない仲間もいるんだろう。

2020年10月、疫病の流行に伴い客足の途絶える日々が続いた影響で、あの店が24年の歴史に幕を下ろす知らせを受けた。幸いにも私は数少ない地元で就職した側の人間だったので、最後の営業に駆け付けることができた。同じように地元に残っている数人の元バイト仲間とともに、あの店で再会の約束をした。久しぶりに会える仲間たちとあの店のことを想って浮き足立ったまま、そそくさと仕事を終わらせる。バスに乗って懐かしのスーパーの前を通り過ぎ、最後の提灯の灯りを目に焼き付けてから店の扉を開ける。あの威勢の良いいらっしゃいの声も、おしぼりを手渡す奥様の笑顔もなにひつ変わっていないことが心底嬉しかった。

バイト仲間たちは当時の思い出話と、近況報告に花を咲かせながら、営業終了時間までこの店との別れを惜しんだ。わたしは言うまでもなく、焼きおにチーズを注文する。いつもは空腹のまま早々にたいらげてしまうけれど、この日は違う。あの頃の思い出と、もう二度と食べることができないこの味を噛みしめて、大切に頂いた。

大将と奥様は最後、店の入り口までわたしたちを見送りに来て有難うございました、そう言って深々と頭を下げた。こちらこそ、有難うございました。あの頃の私たちの居場所を、そして今日こうしてまた再会する場所となってくれたこと。本当に、ありがとうございました。私はこの先も焼きおにチーズと大将と奥様と提灯の灯りと、ここで過ごしたかけがえのない時間のことを、忘れることはありません。

24年間お疲れ様でした。

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