パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

プチガトーのうしろすがた


わたしは物心ついた時からケーキが行儀よく並ぶショーケースを、裏側から眺めていた。明るくライトで照らされながら規則的に並ぶ、きらめくケーキの後ろ姿を見ることがだいすきだった。名前も知らないクラシックの音楽が常に流れる店内は、道路に面して店を構えていたからか、車が忙しなく往来する外の世界よりもずっと時間が穏やかにながれているような気がして心地よかったことを思い出す。

店内と工房を隔てるドアを開けると、背の高い帽子を被る父が、ホールケーキと対峙していた。そうだ今はちょうどクリスマスの一週間前、街は心なしか浮かれ始めていた。生クリームとスポンジはデリケートで切りにくいからナイフを何度も火にくべて温めてから切ることをいつか父は教えてくれた。スッと切れたケーキの断面はいつだって美しい。

店の中は生クリームと焼き菓子の香りで満たされていて、幼いわたしは業務用の水飴の入った大きな銀色の缶の上にちょこんと座りこみ、お絵かきに勤しんでいた。母は、大量の焼き菓子の包装と出来上がったケーキを整列させている。

大きな音が鳴って父が慌ただしくオーブンの前に駆けつける。トレーを引き出すと、こんがりと焼き色のついたシュークリームの生地が顔を出した。やった、シュークリームのときはガッツポーズ。なぜならカスタードクリームを食べさせてもらえるからだ。何も言わず父のそばにすり寄ってせがんでみる。絞り出された濃厚なカスタードクリームを口いっぱいに頬張って逃げるようにまたお絵かきに戻るわたしを困ったような笑ったような顔をして、父は仕事に戻るのだった。

この頃のおやつはケーキの端の商品にならない部分、特に冷凍庫で保存されたロールケーキの端っこは生クリームがアイスのようになっていてたまらない。今思えばなんて贅沢で幸せな幼少期だったんだろう。父はかつて パティシエール だった。それは約10年前、町の小さなケーキ屋さんを営んでいたころのこと。

わたしの家には0〜20歳までの誕生日に撮ったわたしのアルバムがある。12歳までのケーキはすべて父の手作りで、この話を人にするときほんの少しだけ誇らしい。近所の喫茶店でケーキを卸していたり、かつて通っていた保育園のひなまつりのときに園児全員に振る舞われた雛ケーキも父が作ったものだった。街では少し有名なケーキ屋の娘だったけれど、とある理由で閉店を余儀なくされる。わたしがケーキ屋の娘でなくなってもう十数年程経つが、父はあれから今日までケーキを作ることは一切ない。職人のプライドか、当時も自宅で作ることは一度もなかったけれど。

わたしはいま、休日に恋人とケーキ屋を巡る。ケーキ屋のドアにはおよそ小さな鐘がついていて、カランカランと軽い音を立て来店を知らせる。その瞬間、胸いっぱいに吸い込む焼き菓子と生クリームの甘い香りを、なつかしいとおもう。明るく照らされたショーケースのなかで丁寧に並べられたケーキたちは行儀よく上目遣いにわたしを眺めながら、きょうはどれにするんだい、そう自分が選ばれることを待ちわびているようだ。ショーケースすれすれに顔を近づけて、対峙してみた。その時の眼差しはきっとあの頃の父と同じに違いない。人がケーキを買うとき、それに付随するかなしい記憶はおそらく見当たらない。いつでも人の喜びのそばにケーキはあるから、ケーキは常に美しくあるのだと思う。繊細な装飾が施された手のひらサイズの幸福を、すこしずつ口に運ぶ。

恋人はケーキを選ばない。全ての選択をわたしに委ねる悪い癖はこの場合、福となす。2人で食べる3つのケーキ。このケーキ屋も、クラシックの音楽を流すから時間がおだやかに流れているような気がする。次のお祝い事は何にしようね、まだ行ったことないケーキ屋に行こうよ。ほら、最近できた、あの通りの角の。日々の生活の中でケーキを食べる理由を探している。わたしはケーキを他の誰よりも愛している。あるいはケーキと共にある、いくつかの記憶のことを。