すぐシリーズ化してしまいます。
一年前のいまころはまだ見ぬ社会という広い広い海をみてこんなところ泳げるわけなどないと尻込みしていました。だけど時というものは残酷で、後ろから思い切り突き飛ばされて飛び込むことを余儀なくされた4月1日。時同じくしてその日、おなじようになんの装備ももたぬまま放り出されたたくさんの学生たちが、横を見ればすぐ近くにいた。
手を取り合って、とかそんな甘いものじゃない泳ぎの早いやつもいれば、深く潜れるやつもいた。わたしはどうだ、流されながら、深くて足のつかない場所を避けながら、声のするほうめがけて、必死にもがき進むしかできなかったようにおもう。
あれトゲの話ではなく海の話になっている。社会は海に似ている。先に島にたどり着いたひとたちから投げ込まれたつよくて丈夫な装備をきちんとじぶんのものにできるやつもいれば、それを取らないやつもいた。わたしはどうだ、投げ込まれたけどうまく掴めなかったりして、ほころびだらけの水着はなんとか手に入れることができた。そんなかんじです。
あっという間に目に入る景色、泳ぎ方が変わって向かうべき島の場所も、立ち泳ぎをしながらなんとかわかってきた気がする。あの頃のわたしとは絶対に違う。そう思わないと進んできた今までの航路がきっと無駄なものになってしまう気がしてなりません。
2019年4月、いよいようしろからまたなんの装備ももたぬまま投げ込まれた新人がやってくる。その新人はもしかしたらもともと泳ぎが早いやつかもしれないし、カナヅチかもしれない。
わたしにできること。ここまできた航路をおしえてあげること。誇りを持って更に前へと進み続けること。
おぼれることも、道を逸れることもあるけれど、どうにかして後から来た者に抜かされぬようもがき続けるしか選択肢はないようです。
抜かされることに怯えて手を動かすことをやめてしまわないように。海はいつまでもどこまでも続いてゆくのです。
いつかあの人たちがいた場所へ、あの人たちがみた景色へ、気がついたら辿り着いていたい。