パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

‐ピンクネオン‐

月末にはここをやめるの。毎週火曜日に訪れる常連のその人はお酒を飲む手をピタリと止めて、わたしの顔を覗きみた。それは、本当に?兼ねてからわたしは腰掛けのアルバイトにすぎなくて、一生をここで従事するつもりはないということを伝えていたはずだったけれど。その報告があまりに唐突だったのか、その人はひどく落ち込んでしまったようにみえた。

 水商売に足を踏み入れたきっかけは、友達のそのまた友達による紹介だった。簡単に稼げる仕事があるんだけど、やってみない?その話を受けるまで興味もなければ関心すらなく「そういう仕事」をすることはいけないことだと認識していたわたしが「そういう仕事」をするなんて思ってもみなかったんだ。けれど時給は今までしてきたアルバイトの倍あって、都合のいい仕事だと軽い気持ちで入店した。初めのうちは、水商売にまつわる偏見がどうしてもぬぐいきれなかった。親にバレたら、友達にバレたら、きっと軽蔑されるにちがいない。水商売の世界には、「生い立ちに難があり」「金銭的な事情を抱えている」「貞操観念のゆるい女」が男をたぶらかし、お金を巻き上げていく卑しいものだと信じてやまなかった。 

  わたしは幼い頃から人よりずっと真面目に生きてきた。真面目に生きていくことを強いられてきたと言うほうが正しい。親の存在が絶対的な一人っ子だったから言うことはよく聞いていた。逆らって叱責されることを何より恐れて、とうとう反抗期なるものはやってこないまま成人した。せめてもの反骨心、わたしは心のどこかで「不真面目になりたい」ずっとそう憧れてきたんだろう。しかし、今なら言える。わたしは全くの無知だった。想像通り貞操を守らない女も、その日暮らしの女もいたが、水商売は人一倍の気配りと、献身的な心遣いが必要な、根性のいる仕事だった。ただ笑い、色目を使いながら男にお酌をする「不真面目」な仕事では決してなかったのだ。

わたしが在籍していた店は、系列店を含めると4店舗ある。その全てを取り仕切るママがいた。そのママがかつて一斉を風靡していた頃、馴染みだった客が今でもママに会いに来て、昔を懐かしみながらお酒を嗜む場所だった。二十数年来の常連客がほとんどを占めていて、今は地元を離れ働いている人も遠方から訪れては、あの頃は良かった、そう口を揃えて皆おなじ話をしていた。わたしの知らない時代を生きた大人たちが話す思い出話は、どれも愉快で突拍子もなく、なにより破天荒だった。現代の若者たちにはとうてい理解することができないであろう血気盛んな時代の話をよくしてくれた。

ママは幾度となく、わたしたちに指導する。女にしか出せない愛嬌あるやわらかい笑み、丸みを帯びたからだつき、男を癒し、もてなす数々の建前、その全てが武器であること。自分自身が商品であるこの世界で、己の美醜に対する関心はもちろん、客席での立ち居振る舞いには特に厳しかった。身なりのなっていない女に、男たちの多くは蔑んだ品のない言葉を投げかけて、優位に立とうとした。そういった対象には絶対なりたくなかった。水商売をはじめてからわたしは「身の丈に合った華やかさで自分を着飾ること」がどれだけ大切なのかを身をもって学ぶことができたんだ。女としての価値がなければこの世界では生きて行けない。この店で働いているホステスたちの多くは、自信に満ち溢れている顔をしていた。

客に好みの顔立ちだからという理由で、ささやかな おひねり がもらえた。自分のお金で買うには躊躇う様々なものを買い与えられ、同伴でこれまで食べたことのない贅沢な食事にありつけた。ここにいることはわたしにとって、例えるならば「ゆるやかな毒」だった。甘くてやわらかくて、わたしの自尊心を一切傷つけることのないその毒は、それが悪しきものだと簡単に気づくことができない。わたしたちが男性に建前を並べるように、男性たちもまたわたしたちを華のように扱った。「自分のためにお金と時間を費やしてくれる人がいる」そういった誰かに必要とされているという確固たる自負が、ここにいると誰よりも強くなる。誰しもが容易に、自分がまるで高貴な女にでもなれたかのような錯覚に陥ることができる。それは一度手に入れてしまえば手放し難いものだった。このままいたらゆるやかに、そして気づかないうちに堕落していく。そんな恐怖がわたしの中に強くうずまいていた。

就職を理由に、わたしはこの世界から最も美しいかたちで退くことを決意した。ほとんどは客やホステス同士のいざこざに苛まれて翌日から忽然と姿を消す終わり方が多く、きちんと最後の日を伝えやめていくことに驚かれた。非常に稀なケースらしい。店での関係といえどあまりにも個人に深く関わりすぎる仕事柄、どうしても感謝を伝えたかった。こうして客ごときに情を抱くあたりがことごとく、この仕事が向いていないと感じる瞬間だった。最後の夜、辞めることを事前に伝えた客たちがたった数時間わたしと隣で話すために、20組近く訪れた。最後までわたしを口説き落とそうと前のめりになって食事に誘う人も、架空の就職話を真に受け応援してくれる人も、わたしに会えなくなることを嘆き悲しみながら4セット居座った人も、もう会うことは無いのだと思うと、ほんの少しだけ寂しかった。これだけ多くの人に自分自身が求められることは、この先経験することがない気がする。この場所で全くの別人として過ごした夢のような一年はたまらなく楽しかったけれど、ここはきっと長く居ていい場所ではない。さようなら。大好きな街の、きっともう二度と会わない人たちへ。

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