パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

はるぎらい

 

どうして年度の変わり目と別離の季節を、春にしたのか昔の人の方針に納得がいかない。出会いの季節でもあるなんて言うけれど毎年あたらしい出会いに比べて、別れのほうがよっぽど多いとは思いませんか。そもそも出会いと別れを同じ季節にするなんて、どうかしてる。

せめて別れを冬にしておけば、どうしようもなく立ちはだかる切なさの矛先を厳しい寒さにむけて、紛らわすことだってできるだろうに。四つもある季節のうちにこんなにもあたたかくて、あたらしい植物が彩りを増す明るい季節にする必要はなかったんじゃないだろうか。

寒さがやわらいだ春の陽気を肌に感じて、桜の開花宣言のニュースを目にするたびに、頭をよぎる過去のさよならのワンシーンに胸をしめつけられてしまう。いつだって大切な人とのお別れは暖かいこの季節が連れてきた。

ほとんどのお別れは一生会えなくなるわけではないし、国内なら都合を合わせる意思があれば、会いに行ける。それでも身近に存在し共有してきた時間が長ければ長いほど、そのひとから受けてきた施しが多ければ多いほど、別れは辛いしいつまでも慣れることはできない。出会ったからには別れなければならない厄介な世の常に抗う事もできずに、別れ際にこれまで積み重ねてきた 今 がどれほど大切だったのか思い知らされる。

「縁があって、天が動けば」

これは恩師がおしえてくれた大切な言葉。きっと何回離れようと、別れがあろうと、縁があればまた会えるんだろうと信じています。執拗に出会いに感謝するやつらがすごく嫌いだったけど出会いに感謝せざるを得ない場合もあるのだと、だいすきなひとたちとの別れを経験してやっと理解することができた。別れを惜しむほど大切に思えるひとたちに出会えることは幸せなことなんだろうなあ。別れたひとたちにとってわたしもそう思われる存在でいれてたら嬉しいです。「繋がりのなくなったあともそれぞれの暮らしは続いていくのであって、友情や愛情が過去形となって尚、幸せを願う。共にあった日々の愛おしさ、素敵な人生を」