パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

あいまいな喪失

勇気を出して聞いてみた。家族なのに、家族のことを知るために勇気を出さなくてならないことそのものがおかしな話なんだけど。私にとっては、2年ほど前からずっと気になっていたことで、気になっていたことなのに、どうしても口に出すのは憚られていた。

私は孫である。年齢を感じさせない快活さを持ってして、まるで太陽みたいに明るく笑う、料理上手で綺麗好きな、歌うことも喋ることも踊ることも大好きで得意だった自慢の祖母の、たった一人の孫なのだ。数年前に発症したアルツハイマーの進行具合と、現在の居場所を私はずっと知りたかった。

その日、母親の誕生日を祝うために、仕事終わりに急いで実家へ向かった。仕事が早く終わった父が駅まで迎えにきてくれて久しぶりにふたりきりで会話をしながら実家をめざす。他愛もない穏やかな世間話の最中に、この話をすべきかどうかを迷いながら地元の風景を流し見ていた。私の母と、祖母はよくある嫁姑問題云々で物心ついた時からずっと仲が悪かった。だから私までもが母の前で祖母の話をすることが許されなかったのだ。そのおかげで、私は祖母が病気を患ったあたりからほとんど祖母のことを口にすることは無くなっていた。実家からほど近くに祖母が住んでいた家があって、父の車はそこにいつも停めてある。数年前に祖父も亡くなって、いまは空き家になっている3階建ての古い家屋のそばを通りがかった時に、内心どきどきとしながらふと思い出したかのようなそぶりで、やっと聞くことができた。

父から聞いた話によると祖母はもう、寝たきりで意識はなく進行したアルツハイマーにより例え意識が戻ったとしても、もう家族の顔さえ認識できなくなっているんだそうだ。予想はしていた。かれこれ5年ほど、父からその話を持ちかけてこなかったということは、随分と前からそうだったんだろうと思う。

「あいまいな喪失」だと思った。故人を喪失した確証のない不確実な状態を指す言葉だけれど、私の心情にはひどく当てはまっているように感じた。私のなかの最後の記憶、祖母の家の近くで元気だった頃には想像もつかないような(祖母はとても姿勢が良い人でいつも背筋をシャンとして歩いていたから)辿々しい足取りで、介護士に手を取られながら歩くちいさな後ろ姿。そうか、もう祖母は、歩けないのだな。

私は怯えていたのだと思う。話を聞いて実感が増すことを恐れていたから、まだあいまいな喪失のままでいたかったから、母親のことを気遣っていたというよりも自分の意思で今まで聞かなかったのだ。父にどうすれば会いに行けるのかと尋ねてみたけれど、疫病の流行下、面会は難しいとのこと。そればかりは仕方がないと思いながらも、ホッと安心したような自分もいる。会いに行ける状態ならば、会いに行かなくてはいけないと使命感に駆られていただろうから。できれば記憶のなかの祖母のままでいてほしいと心のどこかでまだ、願っているのかもしれない。