パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

自慢の芝生の作り方

 

カワ on Twitter: "隣の芝生が青すぎてまぶしい"

 

隣の芝生は青いという他人のものはなんでもよく見えてしまう様子を表すことわざがある。ツイートは少しわたしなりの解釈で意味を誇張しています。

わたしの成し遂げられないことをあっという間に成し遂げて、わたしでは到底手に届かないものをいとも簡単に手に入れて、わたしが喉元でひっかかり、遂には飲み込んでしまう様々な言葉たちを大きな声で言うことができて。

そういった人たちを前に、きまってわたしはポツポツとまばらに生える自分のカッコ悪い庭の芝生と比べておちこんでしまう。わたしの芝生はいつもどこか惜しくて、取るに足りなくて、人様にお見せするにはいささか恥ずかしい。

それでもけっこう悪くないじゃんと自信をもてるときもあれば、すくすくと成長を感じるときだってある。せめて自分だけでもこのしょうもない芝生のことを認めてあげなくてはならない。でもきっと輝くあの芝生の持ち主たちも、別のステキな芝生を眺めては同じことを考えているのかもしれない。

いつだって健全な劣等感は伸びしろを含んでいて、これが無かったらきっと一生わたしの庭が良くなることはない気がする。もっといろんな人の芝生をみて、むしり抜きたくなるほど悔しい思いをすることも時には必要だ。想像してる以上に凡人は周りの環境におおきく影響されることは知ってるかい。周りには自分よりずっと青々と茂る上等な芝生を側において、囲まれながら目を肥やし、芝生を育ててゆくことはなにより大切である。

幸運にもわたしの周りにはたくさん憧れの芝生をもつ人たちがいて、日々その作り方や手入れの方法を学んでいるところ。芝生自体は変わることはないのだろうが、育てかた次第で、水やりを少し工夫するだけで、いくらでもステキな芝生にすることができる可能性があるはず。

比べて落ち込む暇なんてない、いつかわたしも言われてみたいな「あなたの芝生は青くて眩しい」