今からするお話は、見る人が見たら、なんと馬鹿げた話を、と心無い言葉を投げかけられてしまいそうな気がする。そうでなくてもこの世の中なんて嘘ばかりだし、何を信じたらいいのか分からなくなるなんて頻繁にある。私も全てが本当だなんてもちろんハナから思っていない。だけど、恩師から聞く話は、素直に信じたいと思えてしまう。マインドコントロールや、数多の信仰はこういう思いからなるのではないかと思いつつ、恩師は最後にこの"能力"を使って悪巧みする人間もいるのだから、迂闊に信じすぎるのではないぞと注意喚起もしてくれた。だから安心してほしい。いつもの癖で、話してくれている最中に瞳を覗き込んでみたけれど、その目の奥に欺瞞も建前も偽りも、私は一つも感じられなかった。だからつまり、これから話すことが全て嘘だったとしても、自分が信じたい嘘を信じていけるなら、それはきっと幸せなことだといえる。
同じコミュニティを離れたあとの11年間のうち、恩師とお会いしたのはたった3回ほど。一定周期が経つとふいに会うタイミングが訪れる。それは寸分違わずに、ちょうど人生の転機が訪れたり、大きな壁にぶち当たる直前のいずれかだった。
日頃から「会いたい人にはまた会える」を信じてやまない私は、こうして11年間ものあいだ関係性が変わらないことを思うたび、お互いにとって「また会いたい人」であることを、心底うれしく思う。現代のように逐一近況を知らずとも、数年間連絡を取り合わない日々が続いたとしても、縁あるところに天は動き、前回の続きのような当たり前の感覚で、また顔を突き合わせられる。そんな人間は、身近に決して多くはない。
恩師は昔から、浮世離れした感性をもっていてスピリチュアルな事象についてや、科学的には説明がつかないような出来事にまつわる話をよく聞かせてくれる。手相占いも得意で、会うたび今の自分の状態を"視"てもらう。様々な環境の変化や、今の心情を的確に言い当てられながら、いつも最後に諭されるのは「先祖を大切にしろ」「お墓参りに行け」一貫してこの2点だけだった。
元々家族との関係性は希薄な上、しばらくの間自分の家の墓がどこにあるのかも知らないような人間だったため、いつも何故そんな話ばかりするのかと不思議でならなかった。曰く、今世で目の当たりにする出来事の全てが先祖らが事前に話し合いを重ね、今の自分に必要な試練だと判断し、与えるものばかりだからだという。自分のルーツを辿って、先祖に愛を込めて挨拶にいくということ。元気な顔を見せることで、私と古く繋がりのある先祖たちはあらゆる場面で支援をくれるようになるのだそうだ。
話半分に耳を傾けながら、この5月に亡くなったばーちゃんのことを思った。顔も知らない先祖に対して感謝の念を抱くことは難しいようにも思えたけど、ばーちゃんは違う。きっと顔を見せに行くたびに、泣いて喜んでくれるような気がした。恩師は繰り返し、若い頃には理解できなかっただろうけど、今の私になら通じると思って今日もまた同じ話をしていると言った。確かに、あの頃の私は今日ほどピンと来なかったと思う。大人になり身近な人間が離れていく経験をした私だからこそ、以前にも増して響く話があると知った。
そんな話の後、恩師はふいに問いかける。人はなぜ生まれてくるのか。
私たちは思わず目を見合わせながら、自分なりに考えてみたが、一向に答えが出せなかった。前世からの「償い」「罪滅ぼし」「悔恨」どれも違っていた。恩師は言う「天国は退屈だから」これが答えだった。
輪廻転生はおよそ150年の周期で巡る。亡くなってすぐに天国に行けるわけではなく、現世とあの世を漂いながら自分の中で死を受け入れられたときに、やっと天国へ行くことが許されるのだそうだ。天国といわれる場所には、ストレスや障壁たるものはひとつもなく、平穏が保たれているため、至極快適に暮らしていける。ただ150年近くも、同じ魂で暮らしを続けていると、そういった変化のない暮らしぶりに飽き始め、神様に頭を下げて天国がどうにも退屈で、生まれ変わってたくさんの試練と課題と刺激のある現世において再度生まれ直したい、と頼み込むひとが後を経たないらしい。それが承諾されたのち、晴れて生まれ直しが叶いまた、人生が一から始まる。
まるでファンタジーのようなお話を聞きながら、あの世へ思いを馳せてみた。春の陽気のような過ごしやすい天候、争いもなく穏やかで、幸せに包まれている「だけ」の空間で健やかに暮らす150年の日々、確かに飽きるかもしれない。今世が辛くても、自分で望んだ現世の試練ならば、乗り超えてみせようという気が湧いてくる。
そして恩師は続けてこう言った。現世での試練を乗り越え、また天国へ行くたびに人間は魂のレベルが上がる。
魂のレベルについて説明し難いけど、所謂人間の精神的成長?徳を積むこと?と私は解釈した。例えば、見返りを求めず他者に施しを与えられる利他主義はおそらく、魂のレベルが高い人間の行いだといえる。つまり、生まれ直しを繰り返すことで人は徐々に魂のレベルを上げていくことができ、それが生を持つことの本当の意味だと恩師は説いた。(説いた、とか言ってほんまに宗教ぽい)
自分に立ち返って、レベルはどれほどだろうと思う。
社会人生活や、人との出逢い、別れを通して、各段に数年前とは違った心持ちでいるものの、まだ決して高いとはいえない。ちなみに一般的な人間は平均魂レベル5で死んでしまうらしい。天国での生活や生まれ直しを繰り返すことでレベル7くらいまでなら行けるみたい。ならば、私はまだ1〜1.5あたりだろうな。ちなみに恩師のレベルが気になり尋ねてみたところ、魂レベル14とのことだった。敵うはずがない。そこに根拠は一つもないけど、なんとなく恩師は累計3,000年くらい生きているような気がする。日々自分のレベルを上げるための毎日だと思えれば、なんだかゲームみたいで、少し楽しい。せっかく長い時を超えて生まれ直してきた何度目かの現世を退屈だなんて思わないように、物怖じせず生きていかなければなんて思う。そのようにして、会うたび壮大な死生観のもと私を元気づけてくれる偉大な恩師よ。願わくば、今世で引くほど長生きしてください。
ここまでのお話は、見る人が見たら、なんと馬鹿げたお話を、なんて心無い言葉を投げかけられてしまいそうな気がする。そうでなくても、この世の中は嘘ばかりなのだから、自分が信じたい嘘を信じていけるなら、それはきっと幸せなことだといえる。